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なんとも細かいワイン原産地統制とは?

ワインブームもすっかり定着して、レストランで、あるいは自宅で夕食時に気軽に楽しむ人も増えてきた。まず色を見て、次に香りを楽しみ、最後に口に含むというテイスティングの基本をスマートにこなせるようになった人も多そうだ。ワインを飲んだ後は、ラベルを集めるという趣味もかなり一般的になった。あの瓶に張られた紙を、こうしてラベルと呼んでいるが、じつは「エチケット」というのが正しい名称。フランス語で荷札とか身分証明書という意味である。ワインの中身を証明している紙片ということだ。このラベルを見ればそのワインがどこで作られてどんな等級かということが一目瞭然だ。まずフランスのワインの種類には、安価で日常的に飲まれているヴァン・ド・ターブル(テーブルワイン)と、指定地域優良ワインとがある。指定地域優良ワインは、全国原産地名称協会が保証する徹底的な品質管理のもとで造られる高級ワインで、これもさらに最高級の「原産地統制名称ワイン」と「原産地名称・上質指定ワイン」との2種に分かれている。「原産地統制名称ワイン」の場合は、ラベルに「ボルドー」などとまず地方名が書かれ、さらにその下に地区、村、シャトー、畑の名前が列記されていき、その数が多いほど、産地の限定された高級なワインということになる。たとえば日本でもよく知られているシャトーマルゴーは、ボルドー地方メドック地区マルゴー村のシャトーマルゴーというシャトーで造られた高級なワイン、ということになる。同じボルドー地方でも地区、村、シャトーによってワインの味はまったく違うものとなり、極端なところでは隣同士の畑なのに、できるワインの味わいが異なるということもあるという。細かい分類もさすがはワイン王国フランスならでは。

ニューヨーカーの歩くスピードは世界一

マンハッタンでは以前25丁目から南と80丁目から北は危ないといわれた。そして満足に歩けるのは51丁目あたりから79丁目のメトロポリタン美術館までのフイフス・アベニューという時代もあった。東西でいえば、どちらも海岸沿いの数ブロックは倉庫街で人通りが少ないから危険である。だが現在では、危険地帯は次第に減り、危険の代名詞と言われたニューヨークの地下鉄も、早朝や深夜を避ければ以前ほど危なくなくなった。だが、危険地帯は絶えず変化する。従って最も安全といわれる中心部のミットタウン及び5番街周辺でも、完全に安全という保証はどこにもない。ただ安全といわれる地域は犯罪の起きる頻度が低いというだけのことなのだ。以前から比べると安全できれいになったニューヨークだが、街を歩く時は人通りの多い大通りを中心に歩くこと。そしてニューヨークを歩く時は、できるだけ速足で歩くことだ。ニューヨーカーの歩くスピードは世界一速いといわれ、ゆっくりウロウロ歩いていると、それだけで観光客と見破られてしまう。英字新聞などを小脇に抱えて、とりあえず目的地までサッサと歩くこと。そしてカフェや有名ホテルのラウンジなどに入って、ゆっくり地図とガイドブックを広げて位置を確認するといいだろう。

青森市の野球場建設現場で発見された三内丸山遺跡

青森市の野球場建設現場で発見された三内丸山遺跡は縄文時代の大集落のあととして話題になった。ただし、かなり長期にわだっての遺跡が重なっているのであって人口規模などは過大な数字が一人歩きしている気がする。考古学関係の遺跡が発見されると注目を引きたいというのと保存に結びつけたいというので誇大な数字が喧伝されることが多いが困ったことだ。また、高さ何メートルの建物があったらしいとかいって復元までするが、これも最大限このくらいというところから想像を膨らませているのではないか。それに、いわれがあるわけでもない建物が建っていたあとの穴ぼこをこれほどたくさん保存する国はないし、所有者にも自治体にもたいへんな負担になっており、合理的なルールが必要な気がする。しかし、それはともかくとして、この遺跡が縄文時代の文化や生活に新しい視野を開くものであることは間違いないし、一大観光資源になっているのも結構なことである。青森県では津軽のイメージが強いが西半分が南部領であることはすでに説明したとおりである。もともと、津軽も南部氏が勢力圏としていたが、家臣の津軽氏が独立する形で津軽藩を開いた。そんなこともあって、東部と西部の対立は激しく、県庁の人事でも必ずバランスをとるように配慮される。気候も全く違って、津軽地方が雪が多いのに対して、南部地方は雪は少ないが寒くて厳しい寒風が吹く。だからスポーツでも津軽はスキー、南部はスケートが強い。南部地方の中心は八戸市。イカ漁の本拠地で、市の郊外の東北本線沿いには「イカの町八戸」と書いた大看板が上がっている。東北新幹線も二〇〇一年には盛岡・八戸間が開通する見込みになっている。三沢は、アジアでも最重要の米軍基地の一つ。歌手の小比類巻かおるは、生のアメリカ音楽が満ちているこの町が育てた。ハーフの野球選手太田幸司は、学園紛争のさなかの一九六九年夏の甲子園球場で三沢高校対松山商業の決勝戦一八回引き分けと再試合の熱闘を演じた。